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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第132号       ’02−04−05★

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     決定的瞬間

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●NYテロ事件から半年、

 

<その後>報道がチラホラする中で、NHKドキュメンタリー「テロを

撮ったカメラマンたち」は、まさに私が観たいと思っていた番組でした。

 

  不謹慎を省みず言えばなまじの写真狂、事件発生時から、惨状を

  伝える<見事な>画像に感心し、どんな人たちがどのように?と

  考えずにはいられませんでした。

 

吹き出した火炎、キノコ雲から飛散して落下する外壁や破片、、私なら

唖然、呆然、耐えて見守るだけで精一杯、、だったろうすさまじい瞬間

をバッチリ!とは、、 タフな精神、確かな技量、ほとんど信じがたい。

 

が、当時たまたまニューヨークで<マグナム>の会合があってメンバー

が集結していたことを知り、年末には< New York September 11 >と

題した写真展を彼らが開いたと聞いて、、 あ、それなら信じられる。

 

そのメンバーの話がこの番組で聞けて、、 視聴料、無駄ではなかった。

 

 

<マグナム・フォト社>は1947年、アンリ・カルティエ・ブレッソンが

ロバート・キャパほかプロ報道写真家たちを集めて作った組織。 設立

の目的は、「作品や著作権の保護・管理を行ない、それを通じて写真家

の権利と自立を確保する」こと。 括弧付きとしたのは、

 

以前、これもNHKドキュメンタリーで、ブレッソン自身が述べた言葉

だから。 「何ものにも縛られず信念に基づいて写真を撮るためだった」

とも。 今回のドキュメンタリー、その伝統の健在を示しました。

 

たとえばクリス・モリス。 旧ユーゴ、パレスチナ、イエメン、サウジ

アラビアなど、イスラム社会での紛争を撮って来た経験で、「アメリカ

への大きな憎悪を知った。 が、アメリカ政府や軍がしていることから

すれば驚くには当たらない」と。 また、

 

ニカラグアや中東で取材して来たスーザン・マイゼラスは、「アメリカ

の自己イメージと他者がアメリカに抱くイメージの違い、を写真で伝え

ようと努めて来たが、メッセージが受け容れられるのが遅すぎることも

ある。 今回は明らかに遅すぎた」と。 

 

  おお、<報道>精神! 商業主義的迎合保身専門の我がマスコミ、

  これを放映したNHKも含めて、少しは見習って欲しいものです。

 

命がけで警告を発したのに、とうとうこんな恐ろしいメッセージが来て

しまった、、 その痛恨を込め、<信念に基づいて>撮った写真だった、

とも言えます。 圧倒的迫力も当然、やはり何事も基本はココロですな。

 

*   *

 

そしてもう一つのブレッソン直伝は<決定的瞬間>。 爆発! 炎上!

飛散! 落下! それら<瞬間>を的確に捉えている、と感服するのは

逆に我が未熟の証拠。 <写真>はそのための技術、今さらではない。

 

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●「決定的瞬間」はアンリ・カルティエ・

 

ブレッソンの主張。 「私にとって写真とは、1秒の何分の1かの時間

で出来事の意味を認識し、それと同時にその出来事を表現するのに最も

適した構図を見つけることである」としたこの大先輩、

 

化石世代銀塩写真族には基礎教養的存在でした。 学生時代、試験の日

を忘れることはあっても、「アサヒカメラ」の発売日を間違えることは

無かったくらい。 立ち読みで済ませることもあったけれど、

 

巻頭グラビアが<ブレッソン>だったら必ず買いました。 だから作品

はすべて覚えているつもり。 なのに何故か、ご本尊を何年生まれなど

意識していなかった、とは不思議なことでした。 実際、

 

風貌に接したのは遙か後れ後れて '99年秋、「写真と生きた20世紀」

という前記ドキュメンタリーで。 思わず え? ご健在だった?!

 

その時91歳。 やや恥じらいを漂わせ、健康色で矍鑠。 丁寧明快な

応答、豊かな話題。 あのようになれたらな、と憧れを新たにしました。

 

 

作品や主張だけの認識で来てしまった、という謎の答えは、そのインタ

ビューの中にありました。 「故意に身を潜めていたのだ」 道理で!

 

「良い写真を撮るには、相手に<撮られている>と意識させないことが

必要で、写真家はできる限り自分の存在を消した方が良い」。 だから、

「顔を広く知られてしまうインタビューには応じないで来た」そうです。

 

たしかに、写真家はその作品で知られることが大切なのであって、顔を

売る商売ではない。 それにしても師匠、徹底的に貫きましたなあ、、

 

感心してる場合ではない、マネジメントにおいても同様です。 問題を

「解決した」という成果が大切なのであって、誰が、はそれこそ問題外。

 

  「診療所は私が、、 ハシケも私が、、」 は、問題外の人の科白。

 

誰にも意識はさせず、しかし<協力>を生み出す、、 スムーズで効果

も高い。 有能な管理者は自然にそうしている。 だから「スゴイ!」。

しかし、<自分の存在を消し>て尚、それは可能だろうか?

 

  「国民の納得が得られるような方向で、、」とアイマイな指示しか

  しない総理、まさか<故意に身を潜め>るつもりじゃあるまいね?

 

*   *

 

コリンズとポラスの共著、「 Built to Last 」(訳本:「ビジョナリー・

カンパニー」 日経BP出版センター '95年)の表現を借りると、「時を

告げる」のはカリスマ型、問題解決型は「時計を作る」人。

 

それは創業者のタイプについての記述ですが、時代を超えて一流であり

続け、繁栄し続けている企業の創業者は、「建築家のようなやり方で、、

、、組織を築くことに力を注ぐ。」 つまり、「時計をつくるタイプで

あった、、」(P.37)そうです。

 

ブレッソンの偉大さは、「時を告げる」と共に、「時計」即ちマグナム・

フォト社をも作った、ところにあります。 <自分の存在を消し>ても

主義主張を貫くことが出来たのは、その仕組みによって、でした。

 

  <上>が愚かしく見えるのは、たいてい「時を告げる」だけだから。

  それも誰かの借り物だったり、どこかでの拾い物だったり、、、

 

  正しく「時を告げ」続けるには良い「時計」が要る。 で、「時計」

  どうしましょう? と訊くと「お前、作れ」。 だが、ろくに力は

  貸してくれない。 じゃあ、と作れば、気に入らない、と言う。

 

  そのうち断わりも無く、別の「時を告げ」始める、、 何だ、また

  <拾って>来たのか?!  誰も「時」に感じなくなってしまう。

 

  だから「時計」はトップ自身が作るべきもの。 かつての私もそう

  思い、そうしました。 さて、コイズミさんは、、 どうかな? 

 

*   *   *

 

「決定的瞬間は<やって来るもの>、予測は出来ない、、フレーミング

し直すことも出来ない、、すべては一瞬の構図で決まる、、決定的瞬間

を得るには、準備を整えておかなくてはなりません、、自分を押し付け

るのではなく、準備する、、、 直観と感受性が何よりも大切です。」

 

彼の言葉は、そのままビジネスに重ね合わせることが出来ます。 問題

解決には、まず<感度>、次にタイミングを外さない行動が必要です。

 

その「決定的瞬間」を過たず掴み、過たず対処するには、普段から腕を

磨き、即応態勢で待ち構えていなくては、、、

 

WTCビルにレンズを向けたプロ写真家たちは、ブレッソンやキャパの

精神そのままに行動しました。 良い「時計」だったことの証明です。

 

しかしそのため、不測の不幸に見舞われることもある、、

 

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●WTCビル南棟の崩落を

 

撮影していたビル・ビガートは、後れて生じた北棟の崩落に巻き込まれ、

落命。 携行した3台のカメラはもちろん破損。 2台の銀塩フィルム

は感光して、画像はほとんど失われてしまいました。

 

1台がデジカメで、不幸中の幸い、メディアは破損せず残り、収まって

いた画像が追悼的に紹介されました。 彼の報道写真家魂を偲び、合掌。

 

 

これで分かったのは、第一に報道写真の苛酷な環境で、すでにデジカメ

が本格的に活用されているということ。 第二に、本体破損においても

デジカメは、画像データが生き残る可能性が高い(ようだ)ということ。

 

再び不謹慎を省みず言えば、それほどの極限状況での比較試験は滅多に

試みられないであろう、その意味でもこれは貴重な事実資料です。

 

*   *

 

しかもデジカメ、撮ってすぐ結果をチェックすることが出来、フィルム

代も現像代もかからない、、 アタリマエですが。 プロは一々そんな

ことしないだろうけれど、私などには

 

日常、腕を磨くのに好都合。 TVを漫然と観るのでなく、画面の人物

の心理を想像し、行動を予測してスナップしながら、の一石二鳥です。

 

形だけは銀塩フィルム時代もそうしていたのですが、<空ー>フィルム

でのいわば推理的操作演習。 たとえブレッソンほど<決定的>でなく

とも<瞬間>にはこだわって「スナップ専門!」と「時を告げ」た手前、

そのように自分流の「時計を作」ったわけでした。

 

それがデジカメだと、その場で<採点>が可能だし、ブレずに撮れたか、

干渉縞で歴然と判別できる。 実に楽しい、、

 

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●技法はいわば道具

 

ですが、道具は何であれ手に馴染ませておかなくては、とっさの場合に

役立てられません。  Rational Process も同じこと。

 

その期に及んで、エー、どうするんだっけ? ではダメ。 暗算、即ち

無意識的思考作業が Rational に出来なくちゃ。 その能力の<もと>

は誰にもあるはずですが、普段から磨いて磨いて磨き抜き、

 

どこをどう突いても溢れ出るようにしておかないと、第一に出て来ない

し、第二に的中しません。 技法は、何も Rational Process に限らず、

知っていれば出来る、使える、というものではありません。

 

このメルマガも、<問題>に遭遇する機会に恵まれ?なくなった隠居の

<磨く>努力の一つ。 「時を告げる」ほどの迫力は無いけれど、その

努力を続けるための「時計」ではあります。

 

 

マネジメント力維持向上のために、あなたはどんな「時計」をお作りに

なっていますか? たとえば、「おたすけマン」との習慣的なやり取り

はいかが?  そうしておられる方もある、という単なるヒントですが、、

                          ■竹島元一■

    ■今週の<私の写真集から>は、★最後の晩餐★

 

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